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asagao’s blog

日記と雑記、読書メモは個人的感想でネタバレ含みます。

モンテ・クリスト伯 読書メモ20

「飢え死!」※1

父親の死の原因は、餓死。
その事実を突きつけられ、ダンテスは思わず叫ぶ。

誇り高い父親のことだ、当然まわりの人々の情けを受け、迷惑をかけ生き延びようとはしないだろう。
ダンテスも一度は踏み込みかけた餓死を、父親は自ら選び受け入れた。

司祭の姿でカドルッスの元を訪ね、仇敵と父、メルセデスの消息を探る。

悪人は運を手にして栄光の道を駆け上がり、
正直に生きたものは奈落の底にころげ落ちている。

その現実を知るダンテス。

メルセデスに至っては、ダンテスと式を挙げるはずだったその場所で、たったの18ヵ月後にフェルナンと結婚。

「相手が変わっただけなのですな。」※2

次々と判明していく、裏切りとその皮肉な結果。

たった一人の恩人はモレル氏。

復讐の計画を整えるために、ダンテスは情報を集めて行く。



それにしても、運とは不思議なものだ。

「悪運」と「運」とは確かにあると言える。

何故か悪人は悪運を持っている。
あれよあれよと言う間に、地位を手に入れ望みを叶える。

しかし、悪運で手に入れた地位は、悪運が尽きたとき砂の城のように脆く崩れる。

その事を知らない悪人は、自分には運があると信じこみ運を乱発して使い果たしてしまうのだ。

「運のつき。」

その時に全てが終わる。

悪運と対照的なのは、正しい運を持っている人間だ。

いわば、ダンテスのような正直な男。
エデのような女性。

溢れる運を持っている。
枯渇することのない、運を持っている者。

苦難の道を歩みつつも、その運によって確実に守られる者。


そのように人間には二種類ある。


いわば、善か悪か。
それは、生まれつき決まるものではない。
人は、いつでも、どちらにでもなる。


生きて行くなかで、どちらを選択するか。

苦しくとも正しい道を選ぶのか、
間違っていても安易な道を選ぶのか、

瞬間、瞬間の自分自身の判断で決まって行く。


人として、人間らしい道を選ぶものは、
真実の運を手に入れる。

他者を踏み台にしても、自分の幸せを求める者は、
その行為を運だといって正当化する。

(他者を踏み台にすれば、登ることができるのは当然だろう。ファリア司祭が言うとおり、利害関係を利用し奪う訳だから。)

裏を返せば、悪人は運があるのではなく、他者から奪い取った利益を自らに取って付けているようなもので、それは永続的な物ではない。



例え、苦境に立たされても、長期的に見て結果が良ければ運が良かったといえる。

例え、華やかな地位を手に入れても、後々失脚し惨めな姿をさらすのであれば、それはただの悪運で、運が尽きた姿に他ならない。


運は面白い。

良くなったり、悪くなったりする。


ただ、突き詰めてゆけば、所詮は自らの行為がめぐりめぐって、自分の周囲を覆っているに過ぎない。
原因があり、結果がある。

この世界に存在するものはすべて、

説明のつく原因と結果の連鎖なのではなかろうか。


※1,2,アレクサンドル・デュマ作、山内義雄訳、モンテ・クリスト伯二、岩波書店