asagao’s blog

asagaoの観察日記。

モンテ・クリスト伯 読書メモ30

メルセデスとの再会からオートィユ。

 

モンテ・クリスト伯とメルセデス、フェルナンがここに来てようやく再会。

年齢を40歳でありながら35歳程度に装った理由が、メルセデスに気づかれない為という事がここにきて分かる。

一瞬で気づいたメルセデスも年齢差に確信を持てない。

事実を知れば震え上がるだろうフェルナンも全く気づかず。

 

その後、ヴィルフォールの秘密を暴く問題の地オートィユへ。

ベルツッチオを追い詰めながら、ヴィルフォールの過去へと迫る。

その場所で何があったのか。

この場面では40歳そのものの伯爵が、家令と気兼ねなく語り合う場面が面白い。

庭園の椅子に腰を下ろし、落ち着いた少しユーモアを含んだ物言い。

 

さて、この章の二つの場面で共通する点がひとつ。

 

モルセール(フェルナン)の「決して、忘恩の態度などとりますまい。」*1

ヴィルフォール「つまり、それが報復の法則というやつなのだ。」*2

この二つのセリフ。

悪人たちが、これみよがしに発する言葉が私の意識を震わせる。

 

悪人というものは不思議な共通点がある。

自らの運命を自分の口で呟く。

または、自らの悪事を自分の口で呟く。

ここでは、アリ・パシャを裏切った恩知らずがモルセール。

報復の法則に裁かれるのが、悪の検事ヴィルフォール。

それぞれが自らの未来を予見する言葉を言っている。

これはデュマのメッセージだろう。

 

 

私は自分がやっている悪事を、他人がやっていると言いふらす人間を知っている。

嘘を言う事が呼吸する事と同じ、そういう人間がいることも知っている。

 

悪人は自分が行う悪事を、他人も当然行うと考えている。

そのため悪人は悪人に陥れられる事が少ない。

 

大概、悪人の餌食になるのは善人だ。

善人は、まさかこんな事はしないだろうと思っているから陥れられてしまう。

 

歴史をみれば明らかだ。

美しい女性は罠にかけられ不幸に落とされる。

有能の士は讒言、左遷、失脚。

 

優れた人間ほど才能のない悪人に奪われ、閉じ込められ、歴史の表舞台から消えてしまう。

 

それが、どれほど社会の損失だったか。

過去に失われた英知が、もし存続していたなら、世界の歴史が変わっていただろう。

本当に惜しい。


しかし、見方を変えてみよう。

そのように悪人は権力と栄華をほしいままにしたが、誰ひとり永遠に生きる事は出来なかった。善人を虐げながらも、完全なる自由は手に入らなかった。

 

全てには終わりがあり、報復の裁きの時が来る。

死という現実の終わりを、安らかに迎えるのか、恐怖におののきながら迎えるのか。

人間は、その結末が生き方によって変わるという事を知るべきなのだ。

 

*1 、2

アレクサンドル・デュマ作 山内義雄訳 モンテ・クリスト伯三 岩波書店