asagao’s blog

日記と雑記、読書メモは個人的感想でネタバレ含みます。

モンテ・クリスト伯 読書メモ46

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小さな庭園にて。

伯爵は、信号手の心を葡萄の葉を摘むだけてとらえてしまった。

彼は信号手である前に、園芸家だったから。

自分のこよなく愛するものに、理解を示す人を人は拒めない。

こんな些細な描写でも、奥が深い。

さらに、モンテ・クリスト伯が実に日を当てるために葉を摘む場面。これを教えたのはダンテスの父親だったのではないかとも思える。窓辺の花の手入れをしていた姿が、こんな一文にも思い出される。

信号手とのわずかな会話を通して、モンテ・クリスト伯は彼が野心を持っていないことに気付き、少々落胆する。

此処へきた目的が失敗に終わるかもしれないと予測する。
しかし、ここの描写は些か柔らかで、まるでそれを楽しんでいるかのようなリラックスしたセリフ回しだ。殺伐としたものは微塵もない。


この場面で面白かった点は人を操る事について。

モンテ・クリスト伯は目的を遂げるために、回りにいる人間を全て自分の思うままに操り動かしてきた。
その彼に「信号手に野心が無いからこれは失敗かもしれない」と思わせたこのくだり。

「野心」の無いものは動かし難いという真実。

人を動かす事は簡単だ。
欲の有る者程操作しやすい。
少しその欲を刺激するだけで、思い通りに動かす事が出来る。
もしくは、どのように行動するかが予測出来る。相手を知り尽くしている人間には、それが出来る。

何に執着しているのか、地位か名誉か、金銭か。
金銭の為なら名誉はいらないのか。
全てを失っても女が必要なのか。

人にはそれぞれ譲れないものがある。

それを得るため、または、それを失わない為に行動する習性がある。

相手の心理を読むことも、人生で勝つ為には必要だ。

さて、逆に欲を持たない者。
自分の価値観で物事を判断し、善悪を基準としている者。

そういう人物は、決して人に利用されない。自分の判断で行動して行く。

操られるということがなく、安定した信頼がそのような人物には備わっていく。

しかし、品行方正で才能ある人物は、常にそれを嫉妬する者に策略や嘘によって落としめられてきた。ダンテスの様に。

本人に非の打ち所がなく失敗もしない、回りの人間が操ることも出来ないとなれば、騙し、嘘をばらまき、外から追い詰めるしかないからだ。
だから、歴史上の偉人は策略で葬られてきた。
左遷や投獄、暗殺の歴史は人間のエゴイズムの極致だ。

デュマは、それに対して壮絶な復讐劇を創造した。
人間性の勝利を描いた。


その復讐も突き詰めれば、悪人達は全て自らの行いに滅びている。

モンテ・クリスト伯の復讐はたった1つ。

それは「悪人が何をやったのか。」それを世界に向かって知らしめた事。全ての「嘘を暴いただけ」だ。


そして、それこそ悪人が最も恐れることではないだろうか。

自分が何を考えていたか!
そして、何をしたか!

それを白日のものにさらけ出すことを、最も恐れている。

「嫉妬」

この二文字に凝縮された感情によって、人は悪事に手を染める。

恥ずべき嫉妬。

それこそ、他者を葬ると思わせて自らを地獄の底へ叩き落とす行為だ。

他者を苦しめる者に決して屈してはならない。
彼らは恥ずべき悪人だ。
自分の尊厳を失ってはならない。

醜い感情をもっともらしく飾り立て、いかにも自分は正しいという顔をして襲いくる悪党に、決して屈してはならないのだ。

自分の尊厳を取り戻す。
再び、立ち上がり戦う。
今最も必要な事は、
自分の尊厳を取り戻す事なのだ。