asagao’s blog

日記と雑記、読書メモは個人的感想でネタバレ含みます。

モンテ・クリスト伯 読書メモ54

恋人達。
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マクシミリアンとヴァランティーヌ。

いよいよフランツとの婚約が避けられない状況となり、ヴァランティーヌはマクシミリアンにその悲しみを訴える。

このときのマクシミリアンの説得。
「重大な、生きるか、死ぬかの場合です。役にもたたない悲しみに身をまかせてはならない時です。そうすることは、苦しんだり、涙を流したりするのを楽しみにしている人たちのすることです。」※1

悲しみに身をまかせるな!

強い言葉だと思う。デュマの声を感じる。

そんなものは役にもたたない!

苦しんだり涙を流すのを楽しみにしている人とは、なんという言い回しだろう。

よく考えてみれば、人生で感傷的になったとき、涙を流しながら、苦しさ惨めさを再確認し、どうせ、こうなんだ、こんなに不幸なんだ、と落ち込むのは楽なのだ。

現実を認め、それにあがらうことをやめ、もうどうにでもなれと身をまかせるのは、実は楽なのだ。

むしろ敗北を認めることを楽しみにしてさえいる!

このデュマの価値観は面白い。

確かにそうなのだ。

人生とは、苦しみに歯を食い縛り立ち向かうからこそ、辛く厳しいものだと感じる。

そして、そこに続く言葉がこれだ。
「戦う意志をもった人であったら、一大事の時を一刻たりともむだにせずに、運命から打撃を受けると、たちまち投げ返してやるものです。あなたは、不幸を相手に戦う意志をおもちですか?」※2

どうするべきか!

人生において不幸と戦う意志を持つものに、嘆きの時は必要ない。感傷はムダな物だという。

ロマンティックに悲しみや自己否定を味わう暇はないと。

常に、「いかにするべきか」。

過酷な運命に反撃を繰り出す強さ。スピード。
迷いのないクリアな判断力。

悲劇を、痛快な活劇に変えるような意志の力。

つまり幸不幸を決めるのは環境ではなく「人」であること証明していると思う。

同じ環境でも不幸を感じる人間と、まったく問題を感じない人間、むしろ幸福を感じる人間がいることの違いは、「心」にあると言える。

職場でも、目標を提示され尻込みし諦める人間と、俄然達成意欲を出す人間、いかに達成を不正な方法で行うかに知恵を絞る人間に分かれたりする。

心とは不思議な物だと思う。

デュマは勇敢であれ!と言っている。

戦う意志を持て!と。

この精神のパワーの源は一体何だろう。

幸福になるための、溢れ出る精神の力。

その源は?

不幸を克服できない人間には、精神に力が全くない。

私も味わった、底知れない無力感。脱力感。
指1本動かすことさえ難しいほどの精神的虚無。

立ち上がる力もないほどに疲れ果てた人と同様に、心もまた疲れ果ててしまうと危険なのだ。

本当に死んでしまう。

デュマはこの物語で、その心を蘇らせるパワーの源が何かを教えている。

※ネタバレします。※
見たくない方はこの先を見ないで下さい。






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デュマがこの物語を書いた真意。

それは、読んだ人の数だけ存在する。

私はここに、私にとっての真実を書く。


人は心に栄養を与えねばならない。
食事で体を養うように。

疲れ果て、苦しみ抜いた人の心に必要な栄養は、

「希望」。

これが、この物語のラストの言葉だ。
これが、デュマの答えだと思っている。


どれほどの絶望の淵に生きようと関係ない。

光も差さない暗闇の牢獄であろうと、

「希望」は捨ててはいけない。


あなたの望むものは何か。

望めばいい。



自由だ。


手に入れるまで走り続けるんだ。

諦めなくていい。
運命が諦めるまで望めばいい。


今いる環境が苦痛なら、自分が望む環境を求め続ければいい。

その為に、どうしたらいいのか考えればいい。

かならず叶うという、「希望」を持って。


自分の未来に光を灯す。

暗闇に進むべき道を知らせてくれる。

それが「希望」だ。


「希望」がないから、どうしたらいいのか分からない。

どっちへ進んだらいいのか分からない。

自分の努力に意味を見いだせない。
やる気が出ない。

だから、「希望」を灯す。

誰の為でもない、誰の物でもない、
自分の、自分自身の人生を楽しむ為に。

そうして、立ち上がったとき。

初めて、自分の大切な人も守れるようになる。

「希望」という明かりで世界が見えるようになる。

※1.2 アレクサンドル・デュマ山内義雄訳 「モンテ・クリスト伯五」岩波書店