asagao’s blog

日記と雑記、読書メモは個人的感想でネタバレ含みます。

モンテ・クリスト伯 読書メモ65 ネタばれ注意。ストーリーをたどりながらの感想です。

弾劾 

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この章は一際 鮮烈な印象を残す章だ。

エデの激しい怒りが炸裂する。

そこには弱々しい女性の姿は無い。

強く、そして美しい。

 

 対するモルセールは成り上がり者。

体面を保つための高慢な態度が、同僚たちの反感を買う。

新聞に掲載されたこの事件は誰もが追及したいところだが、先頭に立つものは中々いない。

いつもの例にたがわず、誰ひとり、われから進んで攻撃の責任をとろうとするものはなかった。

 これは時代と国とを問わない人の常。

誰もが同じ不満を持ちながら、最初の一声を上げる人間がいない。

そこへたった一人が声を上げると、一斉に声を上げ始める。

それは、「攻撃の責任をとろろうとするものとなる勇気が必要だから。」とデュマは言う。

ああ。そうかと思う。

それが、最初の一声を上げられない理由なのだ。

何事も。

 

やがてモルセールに敵対する貴族が登壇する。

「ジャニナ」「フェルナン」と聞き、モルセールの顔色が変わる。

この時のデュマの言葉はとても感慨深い。

精神上の傷は、人目にこそふれないが、決して癒着することのないことをもって特色としている。それはいつも苦痛をうったえるものであり、人の手が触れればすぐに血を流し、心のなかでいつも生なましく、いつも口をあけているものなのだ。

罪を犯した者は、常にその罪が明るみに出ることを恐れている。

消える事のない傷であることは自分自身がよく知っている。

 

「精神上の傷」

デュマは精神上の傷と呼んだ。

物語の上ではモルセールの罪。

しかし、読者に伝えたいのはもう一つ「精神に与える傷がどれほど罪深いか。」だと思う。

「他者のを傷つける行為」は人として最も卑怯な、恥ずべき行為だ。

なぜなら、それは当事者のみが知る隠れた犯罪行為だから。

心の傷から、一生血を流し続けなければならない被害者がいても、傷つけた犯罪者はその罪を問われない。異常事態だ。

 

 これは明らかな犯罪だ。

目に見えないからいいのか。

誰も知らなければいいのか。

いや、これは重罪だ。

 

そうデュマは言っているように思う。

 

委員会による審議が続く。

モルセールの弁明は明確。

議会はモルセールの勝利かと思われたそのとき、事実を知るという証人が現れる。

アルベールはその話を聞き思わず声をあげる。「彼女だ」。

かつて聞いたエデの身の上話が、鮮明に蘇ってくる。

 

議場の視線は一斉にヴェールの女性に注がれる。

議長に促され、ヴェールを取るエデ。

目の覚めるような美しさ、しなやかな体つき、香しい香り。

そして、心をとらえる哀愁と響きをたたえた声。

「わたくしはエデと申します。ジャニナ総督アリ・テブランと、その愛する妻ヴァジリキのあいだに生まれたものでございます。」彼女の頬をそめた、つつましやかではあるが毅然とした紅潮、火と燃える彼女の目、その申し立てのおごそかさに、委員会はなんとも言えない感銘をうけた。

 身分証明の証書を提出。

しかし、モルセールはアリ・テブランの娘であることを認めないと発言する。

「これは、私の敵の仕組んだ陰謀だ」と。

その瞬間、エデはおそろしいほどの声で怒鳴りたてた。

「わたしを知らない!」 と、彼女は言った。「ところがわたしのほうでは、つらいお前を覚えています!お前はフェルナン・モンデゴ、父上の軍隊を指揮していたフランス士官だ。(中略)セリムを殺したのもまさにお前だ!わたしと母上とを奴隷商人のエル・コビールに売り渡したのもお前だ!人殺し!人殺し!人殺し!お前の額には、いまもお前の主人の血がついているのだ!

ここに通常のヒロインとは、かけ離れたエデの姿が描かれる。

キーワードは「怒り」だ。

愛する父を、母を殺害された一人の娘。その激しい怒りと悲しみが、怒涛の如く溢れ出す瞬間だ。これほどの苦しみを受けたエデが、その存在を否定されたのだから!

 この後には、母から言い残された言葉が続く。

あの男をしっかり見ておくがいい。あの男がお前を奴隷にさせたのだ!(中略)あの男の大きな傷痕のある右手をおぼえておおき。 

 罪を犯したその右手を覚えておくのだと、痛烈な言葉がフェルナンの上に降りかかる。

フェルナンは無意識に右手を懐へ隠しながら、椅子へ崩れ落ちる。

その後は何の弁明もできず、無言で議場を後にした。

 

復讐を成し遂げたエデの顔には、喜びも、哀れみも現れない。

再びヴェールに身を包むと、彼女もまた議場を後にした。

 

怒りと憎しみ

私はエデが好きだ。

理想の女性だと思う。

ヒロインはおしとやかで、ヒーローに守られる存在。

それが私のイメージだった。

初めてこの物語を読んだ時は衝撃だった。

 

黒髪、白い肌、紅く美しい唇。長いまつ毛。

物語のはじめでは、とても美しい通常のヒロインだった。

それなのに、この弾劾で彼女はその言葉遣いさえも変えて罪を責め立てる。

そこにあるのは純粋な「怒り」だ。

「何故!」

「どうして!」

「恩ある主君を売り渡し、その命を奪い。母を私を奴隷にした。」

絶望の末に母も失ったエデの悲しみ。七年の孤独。

 

彼女の美しさは、そこに「憎しみ」が無いこと。

彼女の復讐は、憎しみによってフェルナンを殺害することではなく、その罪を暴くことにあった。

 

怒りに打ち震える彼女は、人として正しく。そして美しい。

そうだ、不正に対する怒りを持つことは、人として美しい事なのだ。

 

「怒り」は人を人の道へ導くものであり、

「憎しみ」は新たな「憎しみ」をもたらす原因となる。

 

激しい人間の感情の発露であるけれど、それらがもたらす結果は真逆だ。

 

この「怒り」と「憎しみ」を混同するところに様々な悲劇がある。

人間社会の難しいところだ。

 

モンテ・クリスト伯の映画でさえ、この場面のエデの弾劾は割愛された。ヒロインらしからぬ姿と思われてしまったのか。おしとやかなエデが発言するだけだった。

デュマはがっかりしているのではないだろうか。

私はそう思う。


※文中引用※

アレクサンドル・デュマ作、山内義雄訳、「モンテ・クリスト伯」六、岩波書店