asagao’s blog

asagaoの観察日記。

モンテ・クリスト伯 読書メモ76

不倫の愛
f:id:kazbot:20170629145259j:plain

騒ぎの後、ダングラール夫人は不倫相手のドブレーの元へ。
しかし、ドブレーからは居留守をつかわれ、無理やり中へ入るも待ちぼうけとなってしまう。

しかたなく帰宅し、ヴィルフォール訪問のため再び外出。
この結婚を阻む騒動をもみ消し、娘が結婚すれば、自身の不倫が自由となる。
アンドレアさえ捕まらなければなんとかなるかもしれないなどと、自分の未来だけをあれこれと思い悩み、かつての不倫相手にその手助けを依頼するというメルセデスよりも自己中心的な思考。

案の定、ヴィルフォールとのやり取りが面白い。
メルセデスとダンテスのやり取りとの対比が皮肉だ。

こんなところにもデュマのユニークさが出ている。

娘に対する愛情が全くない夫人。

これは、自身の恋愛を優先する母親の特徴だろう。恋愛に生きたい女性が結婚すると子供が犠牲になる。
これは男性も同じだろう。人生において恋愛を目的とするのなら結婚はするべきではない。
恋愛に子供は邪魔になるのだから。
子供は邪魔にされるために生まれてきたのではない。

生まれる、生まれないは自分で選べない。

また、子供は老後の保険ではないのだから、
「老後のために結婚する、老後のために子供を作る。」「子供がいない人は老後が大変ね。」という価値観は誤りであると思う。
子供には子供の人生がある。
決して、親の老後を見るために生まれてきたのではない。
子供がいても、老後を見てもらえない人も多い。


さて、夫人の行動を見るにつけ、ユージェニーの「愛されなかった!という叫びには悲痛なものを感じる。
むしろアンドレアの命乞いのほうが、親身な様子なのだ。

かつて愛した男であるはずのヴィルフォールの憔悴ぶりを目にしても、全く意に介しない。
ダンテスに負けないほど、懇切丁寧に協力できないことを説明しても「助けるべき」の一点張り。

それに対して、断固拒絶のヴィルフォール。
業を煮やした夫人。
ついには過去にヴィルフォールが隠し子を殺害した罪をほのめかす。

さすが検事、予測済みだ。

ダンテスとメルセデスとの間に繰り広げられた、あのドラマチックな心理的葛藤とは真逆の面白さがある。
その場にアンドレア捕縛の知らせが入り、二人の会話は終了する。

この章にいくつか面白いキーワードがある。
ヴィルフォールの長台詞だ。

いったいこのわたしを、どういう者とお思いです?法律そのものです。法律にあなたのお悲しみを見る目があるとお思いですか?(中略)法律には命令だけしかありません。(中略)わたしはいつも叩かれました。(中略)自分が過ちをおかしてからというもの、(中略)必ずしもこのわたしだけが醜いものではないという活きた証拠、(中略)この世の中では誰も彼もが悪人です。*1

火を吐く勢いでまくしたてるヴィルフォール。
確かに、法律に心は無く、ただ命令だけが存在する。
公平な裁判、誰もが納得する判決には必ず、すぐれた裁判官による「法の解釈」が存在する。
法自体には心が無い。
法を用いる人に心が必要だ。
デュマはそう言いたいのではないだろうか。

しかし、ここでのヴィルフォールは自らの罪に心を蝕まれ、他者の罪を暴き裁くことで自らの罪が霞むことを喜んでいたと告白している。
冷酷な法そのものであるという自負と矛盾する罪人としての告白。
叩かれてきたという言葉は、どれほど出世し地位と名誉を手にし人が羨む生活を得ても、批判からは逃れられないという社会の現実を表し、なおかつヴィルフォールの被害者意識と、心に隠した罪による疑心暗鬼をもさらけだしている。

罪を犯し震える心を救うのは、他人も罪を犯している自分だけでは無いという事実。
暗闇で蝋燭一本の灯に救いを求める怯えた罪人。


あれほど、堂々としていたヴィルフォールの真実の姿が描かれている。


ダンテスからすべてを奪い去った3人。

すべてを奪い、すべてを手にしても誰一人幸福ではなかった。

常に犯した罪に怯え周りの人間の視線に怯え、わずかな権力や財産、名誉にしがみついていただけだったのだ。

*アレクサンドル・デュマ作、山内義雄訳、「モンテ・クリスト伯」七 岩波書店