asagao’s blog

asagaoの観察日記。

モンテ・クリスト伯 読書メモ77

深夜の訪問者
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生死の境をさまようヴァランティーヌ。
虚ろな瞳に映る亡霊たち。

一方、マクシミリアンの本心を聞き、ヴァランティーヌを救わんと一睡もせずに棚の影から見守る伯爵。
その伯爵が、遂にヴァランティーヌの前に姿を現した。

夢を見ているのかと疑うヴァランティーヌに語りかける伯爵。

確かに、突然部屋の家具が深夜に動き出し、見覚えのある人物が自分の寝室に現れたら困惑するだろう。

しかも、それが謎多きモンテ・クリスト伯爵。

伯爵が「父として。友として。」助けに来たことを伝えるが、ヴァランティーヌは理解に苦しむ。

しかし、「マクシミリアンのため、マクシミリアンとの約束」との言葉にようやく安心する。

4日間の徹夜の番。
夜間に届けられた器の毒薬を捨て、代わりに薬を入れたのだと語る伯爵。

自分を殺害しようとする人間がいることを知り、驚愕するヴァランティーヌ。

信じられないと嘆く。

「誰がわたしを殺そうなんて思いましょう?」※

心優しいヴァランティーヌ。

自らの心に闇を持たないものは、他者の心の闇に気づかない。

歴史上あまたの心清らかな人間が、欲と嫉妬にまみれた悪人に陥れられ、歴史から姿を消した。

その原因は、常にここにある。

「自分がしないことは、他者もしない」という思考。

これが善人の最大の欠点だ。

「お人好し」と言われても仕方がない。

これに対して悪人は

「自分がすることは、他人もする」と思っている。

以前、カドルッスがブゾーニ司祭に背を向け梯子を降りる時に「後ろから刺さないでくれ」と頼むシーンがあった。

自分だったら「そうする」から、先手を打ったつもりなのだ。

失笑するほどの卑怯な思考。

現代でも時折このような発言をする人物がいる。

本人はそれが恥知らずな行いだと思わない。
卑怯な振る舞いだと言う認識も無い。
それは自分の身を守る為の当然の行動なのだ。


確かに卑怯な者同士であれば、意味のある用心なのだろう。

卑怯者同士の間では、このような恥ずべき行動をするものが、何故か生き残っていく。

実際に「生き残る」のだ。


善人は無防備で、まさかこんなことはするわけが無いと思い、または、そのような予測すら出来ず不利な状況へ陥れられていく。


世の中で、富と権力を手にする悪人。

猜疑心が強く人を信じない。
要領がよく、人の歓心を取ることが得意。
責められないように、常に防波堤を作る。
失敗を言い逃れる口の上手さ。
責任転嫁の為の布石を忘れない。


こういった悪事で暗躍し、その犠牲になるのが心優しい善人だ。

何も知らず、むしろその悪人に同情さえする。
いつのまにか自分が犠牲になり悪人の踏み台になっている。

それでも自分が騙されていたことに気づかない。

挙げ句のはてには、苦境に陥った原因が自分にあると自責の念にかられ、遂にはあらゆる事を諦めてしまう。



「それでは、だめだぞ!」とデュマは語る。



「目を覚ませ!」

「良く見ろ!」という。


「一体誰が!君を苦しめていたのか!一体誰が!君を殺そうとしているのか!その目で確かめるんだ!」


そういうメッセージを私は感じる。


ベッドの中で、近づく足音に震えるヴァランティーヌ。

自分を殺害しようとする者が来る。

しっかりと目覚めている今日なら、犯人が分かると告げて伯爵は棚の向こうへ姿を消した。

自分を殺害しようする者。

思いもかけなかった事実を、ヴァランティーヌは目にする事になる。

※アレクサンドル・デュマ作、山内義雄訳、「モンテ・クリスト伯」七、岩波書店