asagao’s blog

asagaoの観察日記。

21世紀に毛皮は時代遅れだと思う。

原始時代の漫画に毛皮を着たキャラクターが出てくる。
それを見て、カッコいいとかゴージャスとは思わない。
ほかに着るものがないから着ている。
食料とした生き物を無駄なく利用した結果だ。

モンゴルの民が羊をなるべく苦しめない様に一瞬で屠殺する方法を選び、1滴の血液も無駄にせず利用する術を編み出したのは、生きるためにやむを得ないからだった。

しかし、毛皮のコートでは話は違う。

 

 

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毛皮のコート。

毛皮を得るためには、生き物が生きたままで皮を剥ぐ必要がある。


生きたまま、皮を剥ぐ。

この残虐性。

これはファッションとは呼べない。
盗賊の蛮行だ。

生命の盗人だ。

毛皮を求める者は、かたくなに生物から剥ぎ取った物であることにこだわる。

他に着るものがあり、科学の力で毛皮を作れるというのに。

人工では駄目で、恐ろしい悲鳴と共に剥ぎ取られた皮である事にこだわる。

毛皮を纏うものは、心が獣なのだ。

毛皮を纏った、知性の無い「獣」なのだ。

こんなものは文化でも、ファッションでもない。



そして、それを「何のため」に使うか。


高価なコートを着ることができると、人に自分の価値を「見せつけるため」に着る。

寒いから着るのではない。

「心が貧しくて他に自分を飾る物が無い」から着る。

「優れた人」は毛皮を着ない。
その必要が無い。

「その人自身に価値がある」から。

毛皮は必要ない。

毛皮はその毛を持って生まれた動物達が纏ってこそ美しい。

動物の毛並みを見て欲しい。

長さも、太さも、柄も。しなやかさも、温かさも。
彼等の、彼等だけの宝。

それぞれが、それぞれに美しい。

その宝は、その動物だけが使う事を許されている。

私たちに出来ることは、それを眺め、美しさを楽しむことぐらいだ。

生命は尊く、そして、美しい。



私の感じる世界では、これが真実だ。





ダイアナ妃は毛皮の残虐さを知り、持っていた毛皮を燃やした。

この上なく美しい心を持った女性だ。

彼女は、子供に社会の現実を見せるため、ジーンズにTシャツで出かけた。
社会の最下層の人々の生活まで見せた。
王子にそれを見せるということが、どれ程偉大な事か。




世の中には、残虐で卑しい行動が蔓延している。
それが、恥ずべき事だと知る機会さえない。


人間はもっと美しく気高い生物であるのに、
その事実を忘れ果ててしまった。


青年はもっと理想と希望に燃え、自分の人生に責任を持たなければならない。

若さに輝く乙女たちは、もっと自身を大切にするべきだ。
いたずらに恋のみを追いかけてはいけない。
その幻想が消え果てる年齢までに、もっと賢く、もっと気品を持ち、社会に関心を持たねばならない。



夢の中で生き、夢の中で死なない為に。

目を覚まし、はっきりと世界を見据え、自分が今どこに立ち、どこへ向かおうとしているのかを知るべきではないだろうか。