asagao’s blog

asagaoの観察日記。

生死の妄想。才能とは前世の遺産。

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才能とは努力の異名だと言う。
だが、努力を苦痛と感じないのも才能だ。

人には生まれながらに向き不向きがある。
これも事実。


同じ事を覚えるのに、5分で出来る人、1時間かかる人がいる。
その差は何なのか。



生まれながらにリズム感の良い人がいる。
絵を習わなくてもうまい人がいる。
天性の才能とは何なのか。


これは、前世の遺産ではないかと思う。


まるで、思い出すように上達していく人。
何度やっても出来ない人の差。



人は確かに、努力すれば出来るようになる生き物だ。


しかし、それにかかる時間の長短には差がある。


この「差」を考える時、「何か」が違うと感じざるを得ない。

そもそも人は何故、ある物事に異様に執着したり、堪らなく好きで夢中になるのか。
そして、それが何故人それぞれなのか。


科学的に言うなら、DNAには感情の記憶が宿っている。

これは、私の仮説だ。

魚や爬虫類は、親が教えなくても何を恐れ、何を食べ、何処で繁殖するかを知っている。

これは、生物が真っ白な状態で生まれ学び生きるのではなく、その存在そのものが「知っている」からだ。先祖から受け継がれた記憶。

詳しい知識というものではなく、これは好ましい、これは恐ろしいという感情の記憶が行動を促進または抑制する。

だから、稚魚は天敵から身を隠し、食べるべきエサを選ぶ。

現在生きている個体だけの問題ではなく、先祖から繋がる記憶の発現で、優れた物が生き残る。

または、優れた才能が引き出される。





次は、「前世」という曖昧な妄想から考える。

人は死ぬことを恐れるが、また生まれてくる。
生まれては死ぬ。
朝起き、夜寝る様に。


今日やり残した事は、明日も変わらず残っている。


今日身につけた技術や判断力が、明日劇的に向上していることは無い。

寝るだけで、人は進歩しない。

人は生きている時、人は起きている時だけ変化する。
そのチャンスを与えられている。
これが、私の仮説。


いまの人生が苦しい、死んで逃げたい。

そう思って自殺しても、寝て起きるのと同じで再び生まれてきた時、何も変わっていない。
自分は自分のままで、同じ環境に陥れば、同じ感情を抱く。

だから、人は人生を生き抜かねばならない。

もがき、苦しみながらも変えようとしなければ、いつまで経っても変わらない。

例え死んでも。




逆に、生きている今なら変えられる。

死んだ後再度生まれてくるまでの間は、夢を見ているような物で、夢の中で何をしようと本来の運命は変わらない。


生きている今。


それは、どんなに苦しくても最大のチャンス。


人生を変えるチャンス。

だらだらと生きて、何も身につける事なく向上も進歩もせずに生きるなら、来世も同じ。

死んでもまた、生まれてくる。

今が大事なのだ。

永遠に今が大事。

今が全て。


大好きな事に打ち込むなら、その技術はその命に刻まれて行く。

天性の才能とは、繰り返し生きた過去世の努力の証。


これが、私の妄想。

死は恐れる物ではなく、自分という存在の通過点にすぎない。